火焔と太陽

火焰型土器と太陽の塔 みんな湯飲みやお皿をつくっているのに、うちだけ独特。。


かつて日本の美術史の起点は飛鳥時代と考えられ、縄文にまったく価値を見出していなかった1950年代に、日本史上はじめて美術として縄文を評価した岡本太郎。その岡本太郎の代表作である太陽の塔が48年ぶりに今年の3月に内部公開が実現。そして、偶然にも今年の7月には東博で縄文の特別展がはじまり、空前の縄文ブームが到来する。そんな中、先週の土曜日の夜に篠山市が丹波篠山市へ市名変更の賛否を問う住民投票を翌日実施するというニュースに目が止まり、縄文土器と太陽の塔を丹波焼きでつくることを思いつき、翌朝、丹波篠山まで急遽行くことにする。

中島大祥堂で茅葺き屋根のお店と紅葉のお庭を眺めながら和菓子を購入し、HOVEL kusayamaでパンを購入して焚き火を囲み、archipelagoでかっこいい椅子を見つけたけど非売品と言われば断念し、colissimo cafe selonでお店の柱にみちみあの身長を書き込んで、大雅工房で2つ器を購入し、まだ一般公開していない宮ノ北窯の雨滴聲にアポなしで行ったのに特別に建物の中を見せてもらう。その後、陶の郷で縄文土器の火焰型と太陽の塔をつくって、最後にこんだ薬師温泉 ぬくもりの郷で温泉にゆっくりつかって家に帰る。

中島大祥堂は叶 匠壽庵の寿長生の郷みたいな感じを想像していたけど、それとは違ってこじんまりといい感じだったし、HOVEL kusayamaの山奥にぽつんとある感じはとてもよく、大雅工房の窯元の感じも器も相変わらず品がよく、やっぱり丹波篠山は何度も行きたくなるいい場所だった。家に帰ると丹波篠山市に名称変更が決まったというニュースにもなり、今日1日が終わる。その上、偶然にも12月号のCONFORTでは左官特集で久住親子が雨滴聲と大雅工房が特集されているみたい。

雨滴聲にて
HOVEL kusayamaにて