白川静

”知の巨人”という表現が枕詞のようにつくことが多い文字学者 白川静。初めて存在を知ったのは大学の4回生。分野を問わず、良質なテキストとビジュアルでまとめられた雑誌「風の旅人」を気に入って読んでた頃。毎号雑誌の1ページ目に漢字の由来について手書きの文が掲載されるから、意識せずとも目に入る。そして、とてもおもしろい。膨大・難解といわれる本人の著書もいつかは読みたいなぁと思うまま、敬遠に敬遠を重ね今に至る。今更ながら、妥協案として読んだ本が「白川静」松岡正剛著。白川静入門としては最適だったと思う。ほんとにおもしろい。白川静の生い立ちから思考のプロセス、そして松岡正剛の思いも添えてひとつの新書にまとめてる。「漢字は文字が生まれる以前の世界観を記憶している」文字が生まれる以前はしゃべり言葉によるコミュニケーションをしてたわけで、その当時の思想や文化は文字として残ってない。だから発掘調査によって道具や遺構から類推することになる。そんななか白川さんは漢字に目をつける。漢字がすべてを記憶してるじゃないかと。たとえば「口」という漢字。人間の口の形から「口」の字になったと一般的には言われるが、そうではないと白川さんは言う。神へ祈りを捧げる際のメッセージを入れる器、祝詞や呪文のような言霊の”入れもの”であると。「告」という漢字。口の上の「牛」は榊の枝を表す。よって言霊の容器に榊を乗せた行為、それは神のお告げを聞く行為であると。「召」という漢字。口の上の「刀」は人を表す。祈りにこたえて上から神霊が降りてくる様であると。こんな感じで、漢字の世界が当時の文化、思想の世界と一続きにつながっていくからおもしろい。ローマ字ではこうはいかない。白川静を教えてくれた雑誌「風の旅人」には感謝。この雑誌には他にも、川本三郎や養老孟司や茂木健一郎をはじめ、佐伯啓思、松井孝典、日高敏隆、森山大道などなど...すごい人たちがひとつの本に掲載されてた。木村拓哉、山口智子、松たか子、竹野内豊、広末涼子などの豪華競演による「ロングバケーション」のような感じ?もしくは、菅原文太、松方弘樹、梅宮辰夫、北大路欣也、千葉真一、田中邦衛、山城新伍といった役者と深作欣二監督による映画「仁義なき戦い」のような豪華さとでもいうのかな?最近この雑誌とはご無沙汰だったし、良い機会だからまた読み始めようかな。